梓澤要『荒仏師 運慶』

平安から鎌倉への大きな時代のうねりの中で、稀代の天才と讃えられた仏師・運慶が、如何に生まれ、如何に生きたか。
ひたすらに彫りつづけた、その狂おしいまでの生きざまを描いた歴史小説



とにかく、冒頭の一ページに殺られてしまう。

 わたしは美しいものが好きだ。
 たとえば、女のなめらかな肌、若い男のこりこりと硬そうな筋肉、春日野を駆ける鹿たちのしなやかな動き、絹布の襞の重なり、複雑で繊細な模様、仏の像の端正なお顔、冠の透かし彫り、夜光貝の象篏細工、水面にきらめき踊る光の渦、風にしなる木々の影。
 美しいものを見ると、この手で触れると、恍惚として、自分の醜さを忘れられる。
 母は美しい女だった。三歳年下の弟は生まれながらに母譲りの細面で色白のきれいな子だったから、母は弟ばかり可愛がり、わたしを毛嫌いした。
 「猿みたいに醜い顔」
 わが子なのに、面と向かって嘲り嗤った。おまけにわたしは口が重くて愛嬌がなく、ますます疎ましいがられた。


普通この状態だったら、母や弟を恨み、自分の醜さや愛嬌のなさを嘆くものだが、
運慶は違う。

なんと言っても、その醜い子は天才だったのだから。

五才ぐらいから蚤を操り、仏の手や足先や台座の飾り彫りをこなしていたのだから。

幼い頃から才能を認められ、工房に入り浸ることを許され、特別な存在でいられたのだから。


もうこれだけで、運慶という人がどうして美しいものを愛し、その美しさを表現することに身を削り命をかけられたのかが、自ずと知れてしまうと言うものだ。


しかし、勿論これだけではない。

京都の仏師だけが都で仕事ができた厳しい時代に、奈良仏師一門を率いる運慶親子がどんなウルトラシー級の技と頑張りで割り込んでいったのか。
その道のりで出会った鎌倉の武将達と北条政子
はたまたもうひとりの天才快慶との確執や、あの有名すぎる東大寺南大門の仁王象のできるまでのいきさつ。
そして、度々運慶を死へ引きずり込もうとする病等々。

最期を迎えるとき、
「たとえ無名の仏師で終わったとしても、人の心に刻み込まれるお像を一体でも造ることが出来れば満足だった。」
と、運慶が思いいたるまでの、長く重い葛藤の道のりが、生き生きと描きだされている。

「仏の像を造ることは人の心に刻むことだ」と言う父の言葉を、神妙に受け止める純粋さを持ち合わせながらも、実に男臭くて、人間臭い運慶の一生を、へぇー!ほー!と、ゆっくり味わってみては如何だろうか。

荒仏師 運慶 (新潮文庫)

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