科学のカラヴァッジョ派ブログ

ブログのコンセプトは「文学少女が物理学の本を読んだら」です。科学の恋愛至上主義。外見重視。

小川洋子『ブラフマンの埋葬』

 ヨーロッパの村外れだろうか。緑に包まれた田園の中に、あらゆる創作活動を営む芸術家達のための場所がある。元はある出版社の社長の別荘だったが、遺言により〈創作の家〉として無償で提供されている。

 大勢の人々がそこを愛し、静かな時間と新たなインスピレーションを求めて集まり、短期または長期に渡り滞在する。そして、主人公・僕は、そこの管理人であること以外何もわからない。

 この物語の中では、僕を含め登場する誰もが固有名を持たず、とても無機質な印象で、どこか冷たさをも感じてしまう。そのなかで、唯一名前を授けられた水掻きのある小動物〈ブラフマン〉。彼にだけは、血の通ったぬくもりが感じられる。

"朝霧の冷たさとブラフマンの温かさが、僕の中で一つに溶け合っている。僕は伸びをする。ブラフマンも真似して、耳まで届かない前脚を精一杯伸ばす"

 ブラフマンには、好き嫌いがない。ミルクを卒業して以来、朝8時と夜6時に食事をする。彼はこの2つの時間に限り、時計の針を読むことができる。そして、10分前から落ち着きがなくなり、5分前には僕のふくらはぎをなめはじめて催促し、時間になると、不安で目尻に涙を溜める。

 ブラフマンは、僕の足を踏む。洗車をしているときも、仕事に出る僕を見送るときも、後ろ足で甲を踏ん付けてくる。肉球の触感が僕に残る。



 絵のように美しい情景の中で、ひとりと一匹が慈しみ合う短い夏。それが、無性に切なく、いとおしい。


ブラフマンの埋葬 (講談社文庫)

ブラフマンの埋葬 (講談社文庫)