科学のカラヴァッジョ派ブログ

ブログのコンセプトは「文学少女が物理学の本を読んだら」です。科学の恋愛至上主義。外見重視。

竹宮ゆゆこ『砕け散るところを見せてあげる』

 センター試験間近の高校三年生、賓田清澄は、校内でいじめられてる1年生の女の子、玻璃を目撃。ヒーローっぽく助けようとしたことから、全てが始まった。

 清澄の頑張りでいじめはなくなったのに、玻璃の体のアザはなくならない。

 結局ふたりは、絶対ありえないような凶悪犯罪と対峙することになる。高校生にいったい何ができるの?、彼女をホントに救える?それでも清澄は、体を張ってとことん守り抜こうと立ち向かう。

 ぼこぼこでアザだらけの玻璃の頬を両手で包み、"綺麗だよ。花束みたいだ。"と、語るシーンは、胸キュンです。

 これは切ない
heart-warming ラブストーリー?
それとも、危険なミステリー?

 いや、やっぱりヒーローストーリーと、あえて言いたい。


 ヒーローの息子は、やっぱりヒーローだったのだ。



砕け散るところを見せてあげる (新潮文庫nex)

砕け散るところを見せてあげる (新潮文庫nex)

恩田陸『蜜蜂と遠雷』

 近年注目度が高まっている芳ケ江国際ピアノコンクール。百人以上のコンペティタント達が繰り広げる、熱い二週間の闘いの幕が、今、切られようとしている。

 13歳で、愛する母の急死に直面し、ピアノを弾けなくなってしまった、かつての天才少女、亜夜が、7年ぶりにステージに帰ってきた。会場での、おさな馴染み、マサルとの偶然の再会。幼い日に、亜夜からピアノの愉しさを伝えられたマサルは、いまや、名門ジュリアード音楽院の天才貴公子に変身していた。彼がステージに立つと、会場がどよめいた。

 そして、巨匠ホフマンからの謎の推薦状を携えた風雲児、カザマ・ジン。彼の自由な音楽が、亜夜達の調べを、よりいっそう目覚めさせていく。そして演奏を、さらに高めていく。あたかも起爆剤のように。


 第一次予選から、第三次予選、そして本選へと続く熱く長いコンクールを、間近で共に体験するような臨場感が、音楽と無縁の私には、やけに新鮮で、ドキドキ感がたまらなかった。

 また、ギフトを与えられた者達だけが、分かち合える音楽の存在、認めあった者達だけが引き起こす化学反応のような高め合いや成長に身震いを禁じ得なかった。

"ミュージック。その語源は、神々の技だという。"  


蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷


恩田陸『六番目の小夜子』 - マティスが好きな大学生の日常

トニ・モリスン『青い眼がほしい』

"ここだけの話にしてね"
これは、おとなの話に耳を傾けている子供たちに馴染み深い言葉だ。作り話や、家族や、近所の噂話をしたりするときに黒人女がいつも前置きに使う。

そうやって話がはじめられるとき、これは私たちだけの話で他の人に聞かせることはできないという排他的で秘密めいた響きがある。

語り手の少女は、情報通の大人の真似をして「ここだけの話」を、過去を振り返りながら、季節の花のちょっとした狂いと、しがない黒人少女ピコーラの人格崩壊との繋がりを語り手自身の視点から暴いていく。

1960年代、黒人たちの社会が大きく変動するうねりの中でこの本は書かれた。
しかし、この最初の出版は、ピコーラの人生同様に、とるに足らないと片付けられ、誤解され、認められるまで25年の月日を重ねた。

人種差別のある社会では、その影響は、差別される集団のなかにもあらわれる。そして永遠のようにつづく日々の生活の中で、多くの人を傷つける。

モリスンは、人種差別が人種内におよぼす影響を明快かつ鮮烈にえがいているが、告発や抗議の口調と違い、淡々としていて、ゆるやかでもある。

"世界中の人々が彼女たちに命令する立場にいた。白人の女たちは、「これをやれ」と言った。白人の子供たちは、「あれをくれ」と言った。白人の男たちは、「ここへ来い」と言った。黒人の男たちは、「横になれ」と言った。彼女たちが命令を受けなくてすむのは、黒人の子供たちとお互い同士だけだった。"

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

小山慶太『寺田寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』

 小山慶太さんの『寺田寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』のメモ。


 和魂洋才の物理学。

 寺田寅彦は光や原子ではなく、尺八、金平糖、椿の花、線香花火について研究した。寺田寅彦の物理学には風情がある。




 寺田寅彦の口癖。

「ねえ君、不思議だと思いませんか?」




 夏目漱石との出会い。

 寺田寅彦が入学した熊本の高校の英語の先生が夏目漱石だった。寺田寅彦は「まるで恋人にでも会いに行くような心持ち」で漱石の自宅に足繁く通い、俳句をよんだと回想している。




 夏目漱石と科学。

 英文学を研究するために留学していた漱石は、ロンドンから妻宛てに手紙を書いた。「近頃、文学書は嫌になり、科学の本を読んでいる。」




 寺田寅彦とレイリー卿。

 レイリー卿は「空はなぜ青いのか」という疑問を解明した。そのレイリー卿が書いた『音響理論』を修繕寺で温泉に浸かりながら読んだ寺田寅彦は、博士論文として「尺八の音響学的研究」を書いた。尺八の奏者は首の傾き加減を変えることで音の高低を調節し、哀調を帯びた音色を聞かせてくれる。ねえ君、不思議だと思いませんか?

寺田寅彦 - 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学 (中公新書)

寺田寅彦 - 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学 (中公新書)

原田マハ『暗幕のゲルニカ』

「芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。」ーーパブロ・ピカソ



 1937年、4月26日。内戦真っ只中のスペイン、バスク地方の小都市ゲルニカを、反乱軍とナチスドイツの航空部隊が空爆した。その惨状を知ったピカソは反乱軍と闘う共和国政府を支援しようと絵筆を取った。


 モノクロームの巨大な画面。泣き叫ぶ女、死んだ子供、いななく馬、振り向く牡牛、力尽きて倒れる兵士。それは、禍々しい力に満ちた、絶望の絵画。1937年パブロ・ピカソ作、ゲルニカ

 綺麗な花やかわいい女の子の絵が好きな十歳の少女が一目見ただけで、その絵の前から動けなくなった。

 20年後その少女は、MoMAのキュレーターとなった。

 9・11の悲劇のあと、傷ついたニューヨーク市民のために、テロと戦争に反対する世界中の人々のために、いったい何ができるのか考え抜いて、彼女はひとつの結論に至る。


 それは、アートを通じて、反戦、反テロのメッセージを伝えること。パブロ・ピカソがそうだったように。

 そして、彼女は、「ピカソの戦争」展開催のために、まさに命懸けの奮闘をする。

暗幕のゲルニカ

暗幕のゲルニカ

早見和真『イノセント・デイズ』

ーー「もし自分を必要としてくれる人がいるんだとしたら、もうその人に見捨てられるのが怖いんです」
「それは何年もここで堪え忍ぶことより、死ぬことよりずっと怖いことなんです」
そう繰り返す彼女は、驚くほどキレイだった。

本を読み終わったとき、この言葉が脳裏に強くこだました。

繊細で傷つき易くて優しくて、不器用な生き方しかできない田中幸乃。
彼女をひたすら突き動かしていたものはいったい何だったのだろうか。


元恋人の妻と幼な子を放火殺人した凶悪犯。
不幸な生い立ち、義父からの暴力、中学時代の強盗傷害、それら全ての暗い過去をまとい、いかにもやりそうだよね。と、世間が作り出していった死刑囚の女の姿。

人びとが思い描いた彼女の虚像と、本当の彼女とのあいだの深い溝は、いったいなんなんだったのだろう。


作者は、様々な角度から事実を積み重ね、真相を追い、驚愕の真実に、そして、表れにくい田中幸乃の内面にも、静かにしかし着実に迫っていく。
まさに、これは新しい形のミステリーと言えるだろう。

ーー私は見届けなければいけないのだ。彼女が死ぬために生きようとする姿を、この目に焼きつけなければならなかった。

この切なすぎる言葉が紡ぎ出す真実は、果たしてなんだったのだろうか。

貴方にも、是非読んでもらいたい。
そして、貴方の目にも、彼女のその姿を焼き付けてもらいたいと切に願うばかりです。

イノセント・デイズ (新潮文庫)

イノセント・デイズ (新潮文庫)

コンツェヴィッチの「自在さと危うさ」

 数学者についてのエッセイ集 ( 『現代幾何学の流れ』) に載っている深谷賢治さんのコンツェヴィッチについての文章が面白かった。


「コンツェヴィッチは計算を説明するときにいつも絵を描く。その式変形には、絵で説明できる理由があり、式を直接いじっているわけではない気がする。」

「コンツェヴィッチの数学には、『自在さと危うさ』がある。」

「コンツェヴィッチの道具箱には数学の諸方面から集めた多くのものが詰まっていて、それを突然意外なところで持ち出してくる。元来の場所からかけ離れた場所で持ち出されると、数学の道具といえども、隙がなく厳密に使えるようには整備されていない。それでも、その意味の要点を抜群のセンスで的確に把握していれば、ここでこれをこう使えばいいはずだといいっぱなしておいても、そう大きくは間違わない。これがコンツェヴィッチの『自在さと危うさ』の秘密の一端であろう。」

「コンツェヴィッチの自在なスタイルが、数学研究のあり方の1つとして今後定着するのか、それとも限られた天才の特異な現象となるのか、未だ定かでない。」

現代幾何学の流れ

現代幾何学の流れ