科学のカラヴァッジョ派ブログ

ブログのコンセプトは「文学少女が物理学の本を読んだら」です。科学の恋愛至上主義。外見重視。

安部龍太郎『等伯』

 能登・七尾で武士の家に生まれた信春は、長谷川家の養子となり、絵仏師として活躍していたが、どうしても都に出て天下一の絵師になりたい。

 時は、戦国の世。織田信長の時代である。

 この一念を貫く為には、様々な難関を通りぬけなくてはならない。まわりの人々を巻き込み、家族もろとも故郷を追われ、命からがら暮らす日々をおくる。それでも、信春は、業の強さで、ひたすら天下一を目指すのである。

 信春を改め等伯と名乗り、人々に認められるようになるも、心の師・利休の悲劇的な死、ライバルの狩野永徳を中心とする狩野派との対立、事故を装われた息子の死。


 胸を締め付けられるような悲しみが次々と押し寄せる。


 息子の名誉のため、最高権力者となった秀吉に、事故の解明をねがいでたが、取り合うどころか、楯突くとはなにごとかと激怒される。

 文化人の誉れ高き近衛前久のとりなしで、なんとか命はとりとめたものの、秀吉の怒りの矛を収めるためには、等伯がいかに凄い絵師であるかを、示さなくてはならなくなった。

「これまで誰も見たことがない絵を描け。」この難題に応えられなければ、命はない。近衛前久の責任も追及される。

 この命をかけた大一番に、等伯は七尾の松と目に見えぬ霧を描き、見る人々の心をゆさぶった。

「松林図屏風」にて、見事に近衛前久の期待に答えたのである。


等伯 下 (文春文庫)

等伯 下 (文春文庫)

等伯 上 (文春文庫)

等伯 上 (文春文庫)

山崎力・小出大介編著『臨床研究いろはにほ』by 兄

 食品がヒトに効くかを調べたいと思ったとき、医薬品と同様、ヒトを対象にした臨床研究をする必要がある。

 ヒト試験のプランニングにはコツがあり、PECO のフレームに当てはめるとすっきりする。

 Patient どんな患者さんに
 Exposure 何をすると
 Comparison 何と比べて
 Outcome どうなるか

 アウトカムはエンドポイント(評価項目)とも言われる。エンドポイントに設定した事象が観察されると試験終了となるよう計画されているため、この名称になっている。

 例えば、ある食品が動脈硬化に効くかを確かめたいとき、素直に設定すると、エンドポイントは動脈硬化になりそうだ。これは真のエンドポイントと言われる。

 しかし、これをエンドポイントとして臨床試験を行うと、莫大な時間と労力がかかってしまい、実験的に証明するハードルは高い。

 そこで考案されたのが、代用エンドポイントである。動脈硬化予防の場合、血中酸化LDLコレステロールの低下が代用エンドポイントだ。

 実際、動脈硬化の主要な原因として、血中のLDLコレステロールの酸化が考えられている。


 このように代用エンドポイントは、真のエンドポイントと強い正の関連がなければならない。

 世の中の論文を検索しても、代用エンドポイントを設定した臨床研究がほとんどだ。

 ニュースの記事でも、動脈硬化予防の可能性といった具合の歯切れの悪い書き方をよく目にする。可能性までしか言及できないのは、真のエンドポイントをみていないのが理由の一つであろう。


全体像がひと晩でわかる! 臨床研究いろはにほ (ライフサイエンス選書)

全体像がひと晩でわかる! 臨床研究いろはにほ (ライフサイエンス選書)

澤田瞳子『若冲』

 若冲は、京の青物を取り仕切る大店の長男として生まれた。23才で家督を継いだが40才で弟に店を譲り隠居。85才で死ぬまで、絵を描き続けた。

 家業を顧みず、絵を書く若冲を、少しでも落ち着けようと、母は三輪を娶らせたが、いっこうに暮らしぶりは変わらなかった。

 三輪は姑からその事で責められ、子ができないことでいびられ、人嫌いの夫からは、守られるどころかかまわれない。三輪は哀しみにくれ、2年も立たずに、土蔵で首を吊ってしまった。

 それからというもの、若冲は一層絵にのめり込んでいった。

 敢えて因縁の土蔵を見据えながら、何もしてやれなかった自分の過ちを責め、三輪を悼む手だてとして、ひたすら絵を描き続けた。

 三輪の弟、君圭は、姉を死に追いやり、いまだに平然と絵を描く若冲が許せない。批判を込めて若冲の贋作づくりに力を注ぐ。

 それにしても、何という因果か。

 その後、若冲と君圭は、お互いを敵対し、意識しあいながらも、作品を極めて行くのである。そして若冲の絵は妻への鎮魂を越え、君圭の絵は怨念を越え、芸術となった。

若冲 (文春文庫)

若冲 (文春文庫)

ビートたけし『アナログ』

「お互いに会いたいと思う気持ちがあれば、絶対に会えますよ。ただピアノに来ればいいんですもの。」

 主人公悟がインテリアを手掛けた喫茶店ピアノ。たまたま、そこで出会ったみゆきと名乗る女性と、毎週木曜日夕方、その店でまた会うことだけを約束する。お互い知っているのは、名前だけ。

 悟は、木曜日に急ぎの仕事が入ったり、出張がかさなったりする度に、会いたくて、残念で、胸が苦しくてたまらない。

 二人は、このアナログでミステリアスな距離を保ちながらも、確実に惹かれ合っていく。

 しかし、何故か突然、みゆきが店に姿を見せなくなってしまう。いったい何があったのだろう。


 そこから話は様相を変えていく。


 どこもかしこもデジタルな時代に逆行するような、ふたりの関係。ふたりを取り巻く、ひょうきんだが、思いやりのある愛すべき友達。年老いた母が子を思う心。

 どこを切り取っても、胸を打つラブストーリーといえるだろう。


 全くビートたけしという人は何者なのだろうか。ヤンチャなお笑い芸人であり、映画の巨匠であり、芸術家でもあり・・・・。

 そして、こんな話を紡げるのだから、少年のようなピュアな心を持った人に違いない。


アナログ

アナログ

柚木麻子『伊藤くんA to E』

 これは、伊藤君を取り巻くA、B、C、D、E、5人の女性達のお話である。

 美形で博識でボンボン。自意識過剰で幼稚。決定的な局面から逃げ続ける男。どこをどう見ても、しょうもない男・伊藤誠二郎。でも彼は主人公じゃない。

 この男に関わって、こともあろうに片想いして尽くしたり、ストーカーされて嫌悪したり、呆れたり、傷ついたり、傷つけ合ったりする女性達が主人公。

 各々の違う立場からのストーリーが、またこの男の駄目さをあぶりだす。だが、彼女達は、その嫌な部分をみつめることで、彼に呆れるだけじゃなく、鏡のように映る自分達をみつめているのだ。そして、自分を知り、自分を変化させていくのである。
なんと、たくましい!


 三宅隆太いわく、〈女性神話〉とは、社会的に認められるということよりも、自分が自分本来の姿を認めることで、《何か》へと変わる主人公を描く物語だそうで、これも、そんな神話のひとつと言えるだろう。


伊藤くんA to E (幻冬舎文庫)

伊藤くんA to E (幻冬舎文庫)

モーパッサン『女の一生』[訳・永田千奈] ( 光文社古典新訳文庫 )

 今回は、名作・モーパッサンの『女の一生』。

 あまりに有名すぎて、今さらあれこれ言うのもおこがましいが、主人公ジャンヌの妥協の人生ぶりには、かける言葉が見つからない。わずか3ヶ月のお付き合いで結婚した夫がとんでもない人で、夫と、甘やかした息子にひたすら翻弄されつづける。

 150年も前のことだから、女性達の立場も異なり制約も多く、身動きならない暮らしだったのだろう。そんな時代の女性の生きざまが今さら何の参考になるのか⁉と、訳者も悩まれたようだが、その挙げ句に、訳者が行き着いた言葉に共鳴した。

ー ジャンヌの感じた幻滅を私たちも多かれ少なかれ胸に抱き 「こんなはずじゃなかったのに」とつぶやきながら、生きているのではないか。「どこでまちがったのか」自問した挙げ句、運の悪さに行き着いている。
 文学には、人に夢与える力がある。だが、その一方で、夢破れた人間の姿に寄り添うこともできるのも、また文学の力ではないだろうか。そんな思いで本書と向きあうことができた。ー永田千奈


女の一生 (光文社古典新訳文庫)

女の一生 (光文社古典新訳文庫)

加藤シゲアキ『Burn.-バーン-』

 輝かしい賞を受け、公私ともに絶好調の演出家レイジ。しかし、何故か20年前の記憶がすっぽりとぬけていて思い出せない。

 不慮の事故をきっかけに、その記憶が少しずつ蘇り始め、かつての自分が、あぶり出される。

 天才子役と騒がれながらも、公園で先輩たちにいじめられていた日々。そして、通り掛かりに救い出してくれた見知らぬおじさん。

 やがて、それが、公園を牛耳るホームレスのとくさんだと知り、学校帰りに、いや学校がわりに通いつめた。

 とくさんのキテレツな仲間たちとすごしたのどかで、解放された楽しい時間。

 そして、突然訪れた彼らとの鮮烈な別れ。

 そうだ。そのあまりのショックに記憶がなくなっていたに違いない。

 少しずつ蘇る記憶を紡ぎながら、少年の時からの心の成長と痛みを振り返る。


 加藤シゲアキ本人が、きれいなもののなかにある毒やえぐみ、アクのようなものを大事にしていきたいと語っている。

 読後には、彼の言いたいことがよくわかる。


Burn.-バーン- (角川文庫)

Burn.-バーン- (角川文庫)